様々な領域の「知」を求めて、有識者の皆さんと対談する連載「 #知の探索 」。インタビュアーは、当社の本田卓也が務めます。
今回のゲストは、アユダンテ株式会社のCSO(最高戦略責任者)であり、アナリティクスアソシエーション (以下、a2i)」代表の大内範行さんです。
日本アイ・ビー・エム、マイクロソフト、Googleと数々の企業を渡り歩き、日本のSEO支援の先駆者的企業、アユダンテ株式会社とも創業期から関わってきた大内さん。9,000名以上の登録会員数を誇る、データ分析を応援するコミュニティ・a2iの代表を務めるなど、日本のインターネットビジネスを黎明期から支え続けている1人です。
そんな大内さんのこれまでの軌跡をたどりつつ、インターネットビジネスに起こる変化や、アユダンテとa2iで展開していきたい活動について伺いました。
(執筆・撮影:サトートモロー 進行・編集:本田卓也)
興味関心を追究した卒業論文。書いたのは自分1人だった
本田:
大内さんはどのような少年時代を過ごしたのですか?
大内:
絵を書いたり、音楽や読書が好きでした。あと当時としては珍しく、少女漫画が好きだったんですよ。
うちは両親が厳しくて、漫画を読むことを許してくれなくて。でもなぜか、妹だけは漫画を読んでも許されたんです。家に置いてある『別冊マーガレット』を、むさぼるように読んでいました(笑)。
当時は、少女漫画のイメージを打破する作家がどんどん出てきて、リアルでドロドロとした心理描写や物語性の高い作品がどんどん出てきて面白い時代だったんですよ。今でも、女性作家の漫画はよく読みます。
本田:
それは意外でした。スポーツはしていたのですか?
大内:
短距離走とか幅跳びとかはできたので、地域の大会にも出たりしました。学校では1、2位を争うレベルだったんですが、ただ、どうしても興味は持てなかった。
本田:
スポーツ部のエース級じゃないですか!陸上部に入ろうとは思わなかったのですか?
大内:
思わなかったです。部活はいろいろなものが合わなくて、特に先輩・後輩といった上下関係が苦手でした。高校や大学でも、仲間たちと勝手にサークルを作ったり、バンドを組んだりしていましたね。
本田:
進学先は北大(北海道大学)でしたよね。都立高校から北海道に行くのは、当時としては珍しかったのではないですか?
大内:
そうでもないですよ。北大に入学する学生のうち、半数近くは道外から来ていたと思います。
北大を選んだ理由は単純で、キャンパスの写真がとにかくかっこよかったから。冬の一面の雪野原や夏に緑がどこまでも広がる芝生の風景を見て、進学するなら北大一択だと決めました。子どもたちには、「大学はキャンパスで選べ」と伝えています(笑)。
進学後は何かしらの分野を徹底的に研究したいと思い、「産業技術論※」を専攻しました。
※産業技術論
科学技術と社会の関係や、日本の産業界の課題と解決の方向性について考察する学問
例えば、原子力や石油などのエネルギーが経済に与える影響や、核兵器を使用したら世界はどうなるのかなどを学びます。
私は卒論で、メモリー半導体の工場を北海道が誘致した場合の経済効果をテーマにしました。実際に道内の工場へインタビューをするなど、フィールドワーク中心にまる一年没頭して調べて仕上げたんですよ。卒論でまとめた内容は、教授の書籍で取り上げてもらいました。
ただ、当時は卒論は必修科目ではなかったんですね。得られる単位もごくわずかで、非常にコスパが悪い。周りを見たら、私の年度で卒論を提出したのは私1人でした(笑)。
本田:
「書かなくてもいい」と言われている卒論を、そこまで必死に書き上げる学生は少ないかも知れません(笑)。大内さんは多趣味でサッカー、歴史と各方面のメディアで記事を寄稿しているじゃないですか。一度興味を持ったものをとことん追究する性格は、このエピソードからも感じられますね。
日本アイ・ビー・エムからマイクロソフトを経てイージャパンを設立
本田:
大学を卒業後は日本アイ・ビー・エムに就職したのですよね。どのような仕事を担当したのですか?
大内:
最初はシステムエンジニアとして、朝日新聞などの新聞制作システムの開発やプロジェクトマネージャーを担当しました。
大きなプロジェクトが終わって時間ができたときに、黎明期のインターネットに触れて、「この分野で仕事をしたい」と強く思ったんです。インターネット関連のプロダクト開発をするチームにも加わり、製品の開発・販売も経験しました。
本田:
おそらく90年代前半の頃ですよね。日本のインターネット黎明期にサービスを手がけていたのですか。
大内:
とはいえ、インターネットのビジネスとしての規模はまだまだ小さい。その後もアイ・ビー・エム社内でインターネットの仕事を探しましたが、見つけられませんでした。
今、インターネットに取り組んでいる企業はどこか。いろいろと探した結果、たどりついたのがマイクロソフトだったんです。
マイクロソフトでも、インターネット関連のプロジェクトで人材は募集していませんでした。そこで私は、Windowsの部門の採用面接を受けました。そこで、「あなたの部門ではなく、インターネットに関わる部門に行きたい」と伝えたんです。
後日、面接を担当してくれた人が日本法人の初代社長である古川亨さんを紹介してくれました。そして晴れて、インターネットエクスプローラー(IE)のポータルサイトのコンテンツづくりに関わることになりました。
本田:
自分を売り込みに行ったのですね。すごい行動力だ。入社後はどのようなコンテンツを作っていたのですか?
大内:
ニュースや株価情報など多岐にわたります。インターネットの利用ユーザーはほとんど男性だけだったんですが、その中でも星占いが大人気だったんですよ。また、ブラウザ上に面白いサイトをテキストで紹介するコーナーなども作成して、多くのアクセスにつながりました。
このコーナーでは、クリックを料金の基礎とした「今日の特集サイト」という広告も展開しました。世界的に見ても、もっとも早いテキスト広告の実装だったと思います。これが小さいながら、想定以上の収益を得るビジネスになりました。
この頃、マイクロソフトはまだインターネットを通じて収益を上げることができずにいました。収益化の事例がまさかの日本で生まれたということで、欧米のチームにプレゼンをして、その後同じ仕組みを各国が取り入れ始めたんです。
本田:
世界中の目が日本に向けられたのですね。マイクロソフトでは何年働いたのですか?
大内:
5年です。プロジェクトの切れ目で仕事に少し余裕ができたタイミングで、起業をしました。
この頃はマイクロソフトで働く傍ら、インターネット関連の記事を書きたいなと思っていて、インプレスさんに直接メールを出して、『インターネットマガジン』という雑誌の記事を書かせてもらいました。具体的には、ベンチャー企業へのインタビューなどに関わりました。そのインタビューもひとつの起業のきっかけになったと思います。
本田:
楽天やサイバーエージェントなど、名だたる企業が登場し始めたタイミングですね。その後、2001年頃にアユダンテ社の前身となるイージャパンを立ち上げたんですよね。
大内:
イージャパンは、日本アイ・ビー・エムとマイクロソフト時代の同僚だった安川洋と共に設立した会社です。立ち上げ当初はCMS(コンテンツ・マネジメント・システム)の開発・販売で好調なスタートを切りました。しかし、インターネットバブルがはじけてベンチャー企業の商品を積極的に買う人もいなくなり、その後は苦戦する時期が続きました。
なんとかしなければと思ったタイミングで、アメリカでSEOに取り組んでいたジェフ・ルートがジョインしたんです。
当時は「検索エンジンの最適化」という発想はありつつも、その行為に名前があるとは知りませんでした。ふとしたきっかけで、ジェフとの出会いを通じてSEOという言葉を知ったんです。
本田:
もしもジェフさんとの出会いがなければ、アユダンテはまったく違う方向性に進んでいたかも知れませんね。
一人ぼっちで奮闘するアナリストのためにa2iを立ち上げた
本田:
その後、2006年にアユダンテが創業された後、大内さんはGoogleに入社したのですよね。
大内:
いえ、いったん起業した会社を運良く売却できて、フリーランスになったんです。書籍の執筆などをしながら、アユダンテには顧問という形で、プロジェクトベースで関わり続けました。フリーランスの期間は、Googleの特許や検索エンジンの仕組みについて徹底的に勉強して、書籍を書いたり雑誌に寄稿したりしていました。
ちょうどこの頃、Google Analyticsがリリースされて、アユダンテが日本初の認定パートナー企業となりました。アメリカで開催されたパートナー企業のサミットに私も参加しました。その時、米国のGoogle Analyticsの責任者と直接話す機会がありました。キャンパスも広かったので、ぜひGoogleで働きたいと強く思いました。
その後正式な面接を経て2011年、Googleへ入社して日本とアジアのチームのマネージャーなどを務めました。
本田:
相変わらずの行動力だ⋯⋯。その結果、日本のGoogle Analyticsの先駆者となったのですね。
あれ。たしかa2iの設立は2008年ですよね。Googleに入社する以前に、団体を立ち上げていたのですね。
大内:
そのとおりです。Googleに入社する以前、Google Analyticsの書籍の執筆にあたり、10名ほどのログ分析に携わる専門家にインタビューする機会がありました。そこで全員が口にしたことが、「ウェブのデータ分析について相談する相手が自分の社内にはいない」でした。
インタビューした方々は、みんな企業内で孤独にログを分析していました。皆さん、僕との取材で「ようやく話せる⋯⋯!」と言って、嬉々としてこれまでの苦労話やウェブ解析の面白さ、重要性を語ってくれました。
そして取材を経て、私は「一人ぼっちで奮闘している彼らがつながれる場所を作ろう」と思ったんです。
本田:
それがa2i立ち上げのきっかけだったのですね。
大内:
最初に行ったイベントは、非常に小規模な交流会でした。40名ほどの参加者を4名ずつのグループに分けて、WWF(世界自然保護基金)の許可を得て団体のホームページを分析するという場を設けました。全員でデータを見ながら、改善案を提案し合いました。
本田:
すごく面白そう!
大内:
そこから、小川卓さんや森野誠之さん、阿部圭司さん、木田和廣さんなど錚々たるメンバーがイベントに参加してくれるようになりました。彼らにa2iのセミナーで講演などをお願いするようになっていきました。
「この人面白そうだな」という参加者を見つけたら、インプレスなどに紹介して書籍を出すきっかけも提供しました。
a2iを立ち上げた時、今のようにYouTubeやnoteといった発信の場は多くありませんでした。協議会を通じて少しずつ自己発信して、講師になったり転職に踏み切ったりしてきた方々が、現在のa2iのコアメンバーです。
私はよく、「アクセス解析をしている人に悪い人はいない」と言っています。実際、サッカーにおけるアシストが好きな人がこの業界にはとても多くて、他人を思いやる、心ある人ばかりなんです。
今でも、a2iの交流会などを通じて転職したとか、フリーランスになったと報告してくれる人がたくさんいます。彼らは誰かを支えるのが得意な一方、謙虚で自分を売り込むのは苦手な方も多かったように思います。そんな人々が一歩踏み出そうとするのを後押しするという点で、a2iはお役に立てているのかなと思います。
インターネット広告の未来を担うのは「IFA型」プレイヤー
本田:
大内さんは以前、「将来的にインターネット広告の世界が大きく変わっていく」と話していましたよね。それについて詳しく教えてください。
大内:
大きく変わるかは別として、新しい流れがはじまっていると思います。
これまで広告の世界は、GoogleやYahooなどのプラットフォーム企業と広告代理店がメインのプレイヤーで、事業会社は彼らのデータや運用支援を頼りにしてきました。ここに第三のプレイヤーが台頭してくると考えています。
第三のプレイヤーは、個人や個人の集団で、お客様側でお客様の一員として広告を分析・ 改善するプレイヤーです。いわゆる広告運用の世界の人たちではなく、データ分析の専門家や、タグやプログラムがいじれる技術者などが中心です。
ひとつ似たモデルは、株や債権など投資の世界における「IFA(Independent Financial Advisor、独立系ファイナンシャルアドバイザー)」という職業です。IFAは証券会社並みのスキルとデータを持ちながら、特定の会社に縛られずに柔軟な立場で、お客様側にたって支援をするプロフェッショナルです。
すでに英国では7−8割、米国でも3割以上の個人金融資産がIFAによって運用されているようです。
こうした新しいプロフェッショナルが、データ計測の武器を持ち、特定の会社に縛られずに、柔軟な立場で広告改善をアドバイスしていく。そういう流れが、徐々に動き出しているように思います。
本田:
自分の所属する組織の都合ではなく、お客様第一で動ける存在ということですね。
大内:
プラットフォーム企業のレポートだけで広告を購入して、代理店任せになっている事業会社は少なくありません。しかし近年、代理店から事業会社に転職する人や、フリーランスとして広告支援する人々が増えていると思います。
この流れを後押しするツールや仕組み、新たなスキルを学ぶ場を整備していけば、広告運用の主導権が事業会社に移っていくと考えています。
インハウスで広告運用を進める事業会社を本気でサポートできる個人プレイヤーやその集団が、主導権を握る世界がすぐそばに来ていると思うんです。
本田:
私はフリーランスマーケターを紹介する「ミエルカコネクト」に登録いただくマーケターの初回面談を担当しています。その中でも、広告代理店のエースだった人が独立するケースを目にする機会が増えているなと。その流れが、今後ますます広がっていくわけですね。
大内:
先日、田中広樹さんとGoogle広告のP-MAXキャンペーンを解説するセミナーを開催しました。その反響が印象的で、参加者から答えきれないほどの質問が寄せられました。
私たちは決して、広告代理店を否定するつもりはありませんし、依然大きな存在であり続けると思っています。その上で、この新しい波が来るなら、それを支援できる仕組みを作っていきたいと思っています。
本田:
独立すると、Googleの最新動向にキャッチアップできないという課題に直面する人は少なくありません。私たちもミエルカコネクトを通じて、独立した人々のスキルアップに貢献する方法を検討していきたいですね。
大内:
一緒に何かできればいいですね。
若手は既存の枠組みにとらわれず活躍してほしい
本田:
キャリアの話に戻りますが、大内さんは2018年にGoogleを離れた後、Jellyfish Japan株式会社のバイスプレジデント を経て2022年にアユダンテへと入社するのですよね。アユダンテでは現在、どのような取り組みに従事しているのですか?
大内:
CSO(最高戦略責任者)として戦略づくりに関わっています。アユダンテはこれまで「SEOはSEO、広告は広告」と各部門が分業的に仕事をしていたので、それぞれの領域を横断したビジネスづくりに着手しているところです。
最近ではアジアなど海外進出の挑戦がはじまっています。GAだけでなく、SEOや広告、データ分析も日本の国境を超えた広い視野で取り組みはじめていて、とても楽しみです。
本田:
興味深い動きばかりですね。
アユダンテは書籍での発信やブランディングが中心のイメージでしたが、最近は積極的に他の媒体にも進出していますよね。先日はPIVOTにCOOの山浦直宏さんが出演していて驚きました。
メルマガも、対談形式でのコンテンツで非常に面白いです。私はよくXで、「アユダンテのメルマガは読むべき!」と宣伝しています(笑)。
大内:
ありがとうございます(笑)。メルマガはPRディレクターの小林奈穂が企画しています。彼女も非常にフットワークが軽く、さまざまな媒体を参考にして発信活動をしてくれています。
アユダンテには好奇心旺盛で、技術やユーザーのことを知るのが好きなメンバーが集まっています。他社さんの活動なども勉強しつつ、今後ますますメンバーからの発信を促していきたいです。
本田:
楽しみにしています。a2iでの活動については、どのような展望を持っていますか?
大内:
現在はいちしま泰樹さんを筆頭に、編成委員の皆さんが積極的に企画を立案・実行してくださっています。そのなかで、注力していきたい分野がいくつかあります。
1つ目は、GA4に特化したプログラムの実施です。GA4への移行のビッグウェーブが一段落しましたが、このツールを使いこなせていないという人は少なくありません。今年は年間を通して、GA4を使いこなすためのプログラムを展開していこうと思います。
2つ目はツール研究会での活動です。GA4の使い方を学ぶのと同時並行で、それを補完するツールも非常に重要だと思っています。ツール研究会を通じて、そうしたツールを積極的に紹介していこうと思っています。
3つ目は、広告の世界に対するしかけ作りです。先ほども話したように、広告の世界は今後ますますおもしろくなるでしょう。a2iの編集委員には田中広樹さんや弊社の寳洋平といったプロフェッショナルがいるので、彼らと一緒に新しい展開を見せていきたいと思っています。
本田:
エネルギッシュにさまざまなことを手掛けていきたいと。素晴らしいですね。最後に、この記事を読む若手のマーケターやアナリストの方々に向けて、これからのキャリアに対するアドバイスをいただけますか?
大内:
私はいつも、「今の若手のほうが自分たちよりずっと優秀」だと考えています。
だからこそ、若い方々には既存の枠組みや「こうするべき」という言葉にとらわれずに活躍してほしいです。動き続ければきっと道は開けるし、会社という箱に縛られずに、個人単位でどんどん仕事がしやすくなると思います。
実は今後、a2iではウェビナーだけではなくオフラインの交流会を6月に復活開催させる予定です。ぜひ皆さんにも参加してもらいたいですね。
本田:
ぜひ私も参加させてください。