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僕は宇宙へ行くためにマーケティングをしている。LEAPT戸栗 頌平

更新日: 2023.9.9   公開日:2023.02.16

僕は宇宙へいくためにマーケティングをしている。

株式会社GiftXいいたかゆうたさんがインタビュアーとなり、様々な領域の「知」を求めて、有識者の皆さんと対談する連載「 #知の探索 」。

今回のゲストは、株式会社LEAPT代表取締役社長の戸栗頌平さんです。数々の企業を経て、アメリカのマーケティング会社、HubSpot社の日本法人立ち上げに尽力した戸栗さん。現在はLEAPT(レプト)にて、これまでの経験で培われた知見を活かしたBtoBマーケティング支援を行っています。

いいたかさんと戸栗さんは、2022年4月に発売された『現場のプロが教える! BtoBマーケティングの基礎知識』の共著者同士でもあります。今回の対談では、戸栗さんのキャリアを振り返りつつ、日本のマーケターに足りないもの、戸栗さんの遠大な野望について語っていただきました。

(執筆:サトートモロー 進行・編集:いいたかゆうた 撮影:志賀友樹)

宇宙からビジネスの世界へ飛び込んだ

いいたか:
戸栗さんとは仕事やプライベートで何度もお会いしていますが、これまでの経歴について、詳しくお聞きする機会はなかったかもしれませんね。

戸栗:
実は僕、社会人として働き始めたのが29歳の終わり頃なんです。諸事情があって海外へ行き、その後日本に戻って就職したので。

いいかた:
かなり遅めですね。「諸事情」の部分がとても気になります(笑)。

戸栗:
色々あるので要点だけお話しすると、僕は浪人して大学へ進学しましたが、途中で別の大学に入り直しました。この段階で、だいぶ他の学生さんよりも遅れた状態でのスタートになったんですよね。

僕は宇宙に関心があって、航空宇宙工学を学んでいました。大学4年生の時には、大学の研究室にいて、宇宙航空研究開発機構JAXA(ジャクサ)にもいったりすることがありました。卒業後の進路も、いわゆる理系の研究大学院に進学したいと思っていましたね。

いいたか:
今の戸栗さんの経歴とは、まったく違う分野の勉強をしていたんですね。ここからどうやって、マーケティングの世界へ飛び込むのか全く想像できないです。

戸栗:
結論として、僕は大学院に進学したんですが、進路は研究が主な航空宇宙工学の大学院ではありません。豪州ビジネス大学院の、実務的なことが学べるインターナショナルビジネス修士課程を選びました。

航空宇宙工学を勉強していたのは、幼い頃から「月から地球を見てみたい」という思いを抱いていたからです。それを実現する方法は何かを考え、航空宇宙工学を学ぼうと思いました。ですが、研究科に進もうと思った時に、その道に行く人たちがあまりにも頭がよくて。このままエンジニアの道へ進んでも活躍は難しそうですし、結果自分が宇宙に行くことは難しいだろうなと思っていました。

研究室にいる際、他の理系大学院に進む友人が純粋に技術を見ているのに対し、自分は技術をビジネス的な側面から見ていることに気づきました。そこから徐々に、発想がビジネスの方へとシフトしていったんです。例えば、ロケットやそれに付随するものづくりに対して、「これを作っても売れない」「お客様やマーケットは求めていない」と考えることが多かったんですよね。マーケティングという言葉は知りませんでしたが、それに近い発想を自然としていました。

「そんな視点が自分の強みなのではないかな」そう思った僕は、技術的な側面も知りながらもっとビジネスについて勉強し、そこから宇宙に行く道を切り開くのでもいいのではないかな、と思い始めました。それで、自分の経験値でビジネスが学べる場所はどこかを調べて、オーストラリアの大学院という進路を決定したんです。

対談風景1

いいたか:
それが、戸栗さんとマーケティングとの接点になったんですね。卒業後は、そのまま海外で就職したんですか?

戸栗:
そうですね、マーケティングとの初めての接点になりました。ただ、オーストラリアでの生活は大好きだったのですが、海外は就労ビザなど不確定要素が多いと思い、日本に帰国して就職しました。それが2011年終わりくらいの話です。

いいたか:
就職活動では、業界や職種など何を軸に活動していましたか?

戸栗:
正直何もありませんでしたね。同世代と比べて、自分は明らかに出遅れているという強い自覚があったので、働きまくる覚悟を決めていました。社会人としての経験値を早いスピードで積めるところであれば、どこでもよかったです。もちろん、就活も苦労すると覚悟していましたしね。

ただ…実際の就職活動の苦労は、想像をはるかに超えていました(笑)。海外では新卒や第2新卒のような枠組みは存在しませんので、本人次第で仕事は勝ち取れます。ただ、日本の29歳だと、いわゆる第2新卒にも該当せず、当時の採用市場のカテゴリーに一切該当しない人材でしたからね。履歴書で落とされる日々が続き、面接にすら辿り着けない。そんな中、なんとかNFC※の技術を扱う小さな会社に拾ってもらいました。

※NFC(近距離無線通信)
NFC機能を搭載した機器同士を近づけることで、無線通信ができる技術のこと。Suicaやスマホのタッチ決済などに活用されている

戸栗:
この会社では、NFCを利用した顧客情報管理やポイント付与といった、技術者向けのコンテンツをウェブサイトに載せており、そこから問い合わせが来ていました。結果的に、インバウンドマーケティングに近い活動を行っていたわけです。

僕自身は、営業として架電やお客様対応、Webサイト運営担当のちょっとした手伝いなどをしていました。営業担当として受電と架電が多い時に1日70-80件くらい対応していて、営業時間内で5分と連続して作業ができないという忙しい状況でしたね。営業とマーケティングに関わるような仕事は、この会社がスタートと言っていいと思います。

いいたか:
この会社には何年在籍していたんですか?

戸栗:
それ聞いちゃいますか…。実は6ヶ月で辞めました。僕の社会人生活史上、最短記録です。

いいたか:
短い!ま、私も1社目は8ヶ月でしたが(笑)

戸栗:
自分自身、初めての就職だったこともあり本当に仕事ができなかったと思っていますが、辞めた理由はシンプルで、社長や同僚とまったくソリが合わなかったんです。

会社を辞めた後は知り合いと話をして、なけなしのお金を資本金に入れ、新しく設立された会社の共同創業者になりました。ここでは士業と起業家のマッチングサービスを展開しており、僕はデジタルマーケティング全般を任されました。

具体的には、コンテンツ制作や広告運用を行い、ハウスリストも順調に貯まる感じになったのですが…。遅い働き出しだったことを挽回するために必死に働きましたが、結局この会社では組織やプロダクトの開発・運営で色々な問題があり、1年半で離れました。

いいたか:
この段階で、まだ社会人歴2年ですか。すごく濃密ですね。

戸栗:
そうですね(笑)。周りから遅れた分を取り戻そうと、かなりの量をこなしていました。自分の会社で、デジタルマーケティングに本格的に触れ始めました。僕は幸い英語ができたので、働きながら海外のマーケティングの最新事例もチェックし、自分の事業にどう活かせるのだろうか、ということを常に考えていました。

そこで、よく目にするようになったのがHubSpotのコンテンツです。事業がうまく行く気配がなく、何度もHubSpotの情報を見ているうちに、この会社で働きたいと思うようになりましたが、当時はまだ日本法人がなかったんですよね。

自分の会社を休眠させる時に、金銭的に困っていたのですぐに働き出さないといけなかった。同時に、自分の価値をわかってもらえるところはどこだろう、何をしたいのだろうと考えました。

思い至ったのが、デジタルマーケティングを身銭を切って行い、HubSpotのことを知っている自分とマッチしそうな会社です。そう考えたときに、HubSpotの代理店という選択肢があることに気づきました。

では、有名な会社はどこだろう。いろいろと調べた結果、高広伯彦さんが共同創業者の株式会社マーケティングエンジンを見つけ拾ってもらいました。ここではコンサルタントとして入社したのですが、結果インハウスマーケティングや営業も担当し、BtoBマーケティングにどっぷりとはまっていくことになるわけです。

在籍期間は1年と短いんですが、遅れを取り戻すために日本に戻ってきてから人の3倍働くことを自分の目標に課し続けていたので、マーケティングエンジンでも、とにかくよく働きました。

対談風景2

いいたか:
ここでもすごい激務だ…。最初は事業会社でマーケティングを、そして起業を挟みつつ、HubSpotで外部を支援していたというのが、戸栗さんの会社員時代のキャリアなんですね。

孤軍奮闘のHubSpot日本法人立ち上げ。そして起業へ

いいたか:
マーケティングエンジンを辞めた戸栗さんは、その後HubSpotの日本法人立ち上げに関わるわけですね。ようやく、私の知っている戸栗さんが登場します(笑)。

戸栗:
マーケティングエンジンを辞めた後、当時のクライアントが「戸栗さんに支援をお願いしたい」と言ってくださったんです。ありがたいことに大きな企業さんからも声がかかったため、法人を作り、株式会社としてお客さんをサポートしていました。すると、2015年3月位にHubSpotのアメリカ本社から「一緒に日本法人を設立しないか?」と連絡があったんです。

マーケティングエンジン時代、僕はHubSpotの本社の経営陣の方やインターナショナル部門のトップとも関係があったので、そこからのツテで声をかけてくださったんです。

そこから約1年3ヶ月、国内外を行き来しながら一人で日本法人立ち上げに奔走しました。ここでも、かなりのハードワークを重ねました。シドニー、シンガポール、ボストンへの行き来が多すぎて、朝ベットの上で目が覚めると、自分がどこの国にいるかわからなくなる、なんてこともよくありました。

いいたか:
すごい。まさに創業期を牽引したわけですね。それなのに、なぜHubSpotを辞めたんですか?

戸栗:
仕事はすごく楽しかったです。色々な職責をもらえましたし、HubSpot社は何年も前から働きたかった会社です。その会社の日本法人立ち上げに携わるなんて、相当レアな経験だったと思います。激務だったことは言うまでもないのですが、本当に最高の経験でした。ただ、徐々に社員が増えていくにつれ、社員との「感覚のズレ」を覚えるようになりました。

語弊があるかもしれませんが、リスクをとって事業を立ち上げるマインドとスキル、立ち上がった事業内で活躍できる会社員マインドとスキルの違いと言えばいいのかな。そのズレが徐々に大きくなり、違和感に変わっていく感じがありました。

自分が変化に順応できていないだけだな、と思うこともあったのですが、その違和感を払拭できなくて、会社を離れることにしました。ズレを感じている期間、つくづく僕は会社員に向いていないんだなあと思いましたよ(笑)その後、LEAPTを立ち上げて今に至ります。

いいたか:
なぜ、このタイミングで起業しようと思ったんでしょうか?

戸栗:
特に意味はありません。あえて言えば、会社員マインドとの意識のズレが、自分の中で限界に達していて、会社を辞めたからと言えばいいでしょうか。

また、起業自体のイメージは中学生頃からありました。僕は母子家庭で育ったんですけど、祖父は会社員じゃなかったんですよね。身近な男性の姿を見て、自分もそうなるんだろうなという漠然とした想いがあり、その想いとタイミングが重なった、という感じです。

起業したタイミングには、深い考えはありません。HubSpotの立ち上げに関わらせてもらったタイミングが、ちょうど社会人7年目あたりで、そろそろ次を考えてもいいと思ってました。

HubSpot社を辞めた後は、10ヶ月弱ほどフィリピンのセブ島を生活拠点にして、自分のしたいことや今後何をすべきかを考える時間にあてていました。

日本のマーケターの深刻な「手を動かさなすぎ」問題

いいたか:
LEAPTの起業から現在に至るまで、大きな経営課題にぶつかったことはありましたか?

戸栗:
実は大きな困難に直面したことはないと思っています。マーケティングエンジンを辞めた時も、HubSpotを立ち上げようとしていた時も、ありがたいことに「戸栗さんに来てほしい」という連絡を色々頂きました。

自分の正直な気持ちを伝えてお断りしても「であれば戸栗さんにお仕事をお願いしたい」という具合で、ありがたいお話でしたね。HubSpotを辞めた時は、知っている方、知らない方からこれまで以上に連絡があって。ありがたいことに、起業した直後から、会社として資金に困ることはなかったんですよね。

ただ、僕にはある種の「危機感」のようなものがありました。学生時代、僕はマーケティング的な発想で物を考えていたと話しましたよね。それ以来、ずっと僕は「日本の製品は質が高いのに、なぜ売れないんだろう」と思っていました。

僕が導き出した答えは、「ものづくりに強い会社がマーケティングをしていないから」でした。どの企業も、機能売りに走っているから苦戦していると。このままでは、日本はダメになるんじゃないかという思いが学生の時から芽生えてました。

この考えはHubSpot社にいた時にほぼ確信に変わっていて。HubSpot社の製品を部分的に切り出すと、より高機能のソフトウェアは多く存在しているにも関わらず、HubSpotのほうが圧倒的にシェアが高く、お客さんに愛されている。

日本企業視点からは矛盾している状況下でHubSpotが勝ち続けているのは、お客さんの要望や市場の変化にいち早く対応している結果。つまり、マーケティングをきちんとしているからだ、と。

同時に、どうして日本の企業はそれができないのかな、とマーケティング業界に10年以上身を置き考えてきた中で、あることに気づきました。「日本のマーケターは顧客理解が低いし、手を動かさなすぎ」という感覚です

きつい言い方ですが、勉強は大好きだけれど、手を動かさず偉そうなことばかり口にする方の多さには愕然としています。特に、HubSpot社のなかでずば抜けたハンズオンの同僚マーケターと接してきたので、その差に対する危機感はすごく大きくなっていきました。

マーケティングエージェンシーのコンサルタントも、クライアントに対して偉そうなことを言うだけ。クライアント側は「結局何をすればいいんですか?」と頭を抱えてしまい、不要なマーケティング予算を消化させてしまう。結果、社内でのマーケティング部門の立場がまずい方向に向かう…。そんなシーンを、これまで何度も目にしてきました。

対談風景3

戸栗:
だからこそ、LEAPTではただのコンサルティングはしないと心に決めました。クライアントと、可能な限り近い距離感、同じ目線で仕事するというスタンスを大切にしています。

クライアントを支援する際は、商談などに同行したり、商談録画を確認し、クライアントの顧客の業界情報などをインプットします。クライアントのお客様を理解した上で、営業チームやマーケティングのメンバーと相互理解を深めていきます。私とクライアントの営業チームとマーケティングチームのつながりを、より強化していくイメージです。

本来、マーケティングで、特にプロモーション施策を実施する時に営業への理解が乏しいと、何もできません。にもかかわらず、日本のマーケターは営業への理解、ひいては「顧客理解が足りなさすぎる」んです

いいたか:
マーケターの顧客理解が不足しているというのは、私自身も痛感します。実際、私がマーケティング支援を行う時は、必ず最初の数ヶ月はクライアントのお客様と話をして、顧客の解像度を高めるようにしています。もちろん直接お客様と話せないケースもありますが、その際はクライアントにしっかり話をしてもらっています。

すると、「このプロダクトの打ち出し方は根本から間違っている」と気づくことが、多いんですよね。

戸栗:
実際に会って、話を聞くことで得られる情報量はすごいですよね。五感を全開にして色々な情報を吸収できます。日本企業の多くのマーケターは、ここを怠っているせいで顧客の解像度が上がらず、顧客の潜在的な課題に気づけません。結果、施策の精度が上がらず、機能売りと安売り競争に陥っている気がします。

にもかかわらず、いまだに「マーケターは会社に引っ込んでいればいい」「外部の支援会社にまるっとお願いすればどうにかなる」という勘違いが蔓延しているのが現実です。マーケターは、営業以上にお客様との距離が遠いのだから、営業以上に正確な顧客理解が求められます。それを抜きにして、どんな施策を実施しても精度が低いのは当たり前です。

世のマーケターには、「この施策は、顧客ではなく自分のやりたいことに基づいて実施しているかもしれない」という可能性に、気づいてほしいです

オウンドメディアひとつ取っても、競合がやっているからという先入観で実行しようとする企業が多いじゃないですか。そんな安易すぎる考えでは、施策を始めた時点で負け戦が確定しますよね。デジタル以外でも、情報を届ける方法はあるのですから。

日本と海外のマーケターを取り巻く環境の違い

いいたか:
日本企業の場合、新しい成功事例が出るとそれを“魔法の杖”のように考えて、追随しはじめて失敗するケースが多いですよね。なぜだと思いますか?

戸栗:
海外の企業と比べて、失敗への恐れが極端に強いことが大きな理由だと思います。HubSpotの立ち上げ時に、「日本企業勤務の人は極端に失敗を恐れる」ということを本社の重役には伝えていました。しきりに事例を求めたりとか、具体的なアクションを求めたりするのも、そういう背景があるのかなと思います。

面白いことに、こうした傾向は中南米や北米、オセアニア、ヨーロッパではあまり見られませんでした。むしろ、こうした地域の会社は「新しいことにチャレンジしないと生き残れない」と相対的に強く思っています。

成功したらOK、失敗したら次はどうするかを考える。「試す」という感覚で施策を実施する姿勢は、日本と海外の大きな違いです

これは余談ですが、僕がオーストラリアにいた2010年頃、現地ではすごくマイナーなアイスホッケーのリーグでプレーしていました。10年以上も前ですが、そのリーグは試合の様子をYouTubeライブで配信していたんですよ。

当時、日本のトップスポーツを含めたどのスポーツでも、まちがいなくYouTubeでライブをしていたなんてことはなかったはずです。それくらい、トライ&エラーを行うのがごくごく当たり前の環境なのです。

いいたか:
日本では、この数年でようやく企業やスポーツチームがYouTubeライブを使い始めたという感じですよね。

戸栗:
そうですね。海外は失敗ありきで物事を考えるので、マーケティングの施策を試したり、コンテンツを作ることへのハードルも極めて低いです。HubSpotでも、これでリードが取れるの?と疑問に思ってしまうようなコンテンツを、よく作っていました。とにかくトライするという感覚が、強かったですね。

一方、日本ではコンテンツと聞くと、ついかしこまってしまいます。失敗を恐れてハズレないコンテンツを作るために、わかり切った顕在課題に対してコンテンツを作りがちです。当たり前なのですが、顕在課題を抱える顧客との対話は主に営業の役割ですから、それってマーケティングの仕事なのだろうか、と思います。そういったマインドセットもあり、積極的なコンテンツ制作が、ものすごくハードルの高いものになっているんですよね。

いいたか:
日本の場合、コンテンツに直接的な効果を求めすぎているのも、原因かなと思います。海外はコンテンツのもたらす影響を、より広義に捉えているのかもしれませんね。

対談風景4

戸栗:
そうですね。マーケティング活動が連続性を持たないと成立しないことを、日本企業はあまり理解できていない、もしくはやり方を知らないのだと思います。

そのことに関連しますが、日本のBtoBマーケティングでは「分析」という言葉が多く飛び交います。意図をもって実施した施策のデータなら、分析にも意味があると思いますが…。意図も実施者も不明な施策をとりあえず分析して、後追いして失敗率を下げようという動きが非常に多いです。

海外のマーケターに、そういう発想はありません。「面白そうだからやってみよう」「お客様が喜んでくれそう」という日本人からすると軽めな発想が第一です。もちろん定量的なインパクトが最も高そうなところからトライはします、大失敗することもありますけどね。むしろ、分析に関しては海外は適当だなと思います(笑)

いいたか:
海外は、入口と出口の数字が合っていればいいという発想が強い気がします

とある日本企業の案件で、担当者が外国人だったケースがありました。いつものように、彼に中間レポートを見せようとすると、「いらない!入口と出口が合っていればOK」と言われて。とにかくチャレンジしてほしいという気概を感じましたね。

その代わり、彼は出口の数字が違うことに関して、ものすごく厳しかったです。数字に対して、「このアクションが間違っているんじゃないか」と細かくチェックされました。

戸栗:
本当にそう思います。日本企業は事後分析から精度を高めようとしていて、海外はトライ&エラーで学びを重ねて精度を上げようとします。後者の方が桁違いにチャレンジを重ねられるので、結果として精度を高められる気がしますね。

いいたか:
これ以外にも、日本と海外の企業には違いがありそうです。

戸栗:
たくさんあります。特に指摘したいのは、日本企業はKPIを変えないという点です。問い合わせ数や資料請求数に、捉われてしまう責任者や担当者がすごく多いなと。この点は、日本独特の闇だと思います。

海外では、そのKPIが事業に適していないと判断したら、柔軟に変更します。私がいた当時、HubSpotでは、KPIの変更が毎期のように行われていました。少しでも「このKPIは間違っているのでは?」と考えたら、すぐに見直す体制が整っているんです。

これは、柔軟な文化を持つ欧米の特徴なのかもしれません。その考え方やメリットを詳しく知りたい場合は、太平洋戦争にて欧米に対して日本が大敗したことを解説した書籍『失敗の本質』を読んでもらえるといいかもしれません。

そのような理由もあり、僕もまたクライアントの掲げるKPIに対して、担当者のレベルやコンテンツ制作体制、社内状況をチェックします。場合によっては、「そのKPIは無理です」とハッキリとお伝えしてKPIを変えるようにしています。本来のKPIを達成するための「仮のKPI」を設定して、徐々に距離を詰めていくようにしています

いいたか:
正しく問題提起を行っているんですね。日本と海外の違いについて、僕もひとつ思うことがあります。それは、日本のマーケターには事業経験者がすごく少ないという点です

戸栗:
確かに!デジタル領域のマーケターなのに、自分でWebサイトひとつ作ったことがない人がザラにいるじゃないですか。それがすごく疑問です。

今はどのようになっているかわからないのですが、私がいた当時のHubSpotでは、新入社員に必ずHubSpotのアカウントを付与していました。そして、HubSpotで自分の仮ビジネスをデジタル上で立ち上げる、というのを課題にしています。

すると、製品、値段、プロモーション、場所をどうするかなど、マーケティング感覚が圧倒的に身に付きやすくなるんです。それ以外にも、仕事の合間にプロダクトを開発して、業績が上向くと会社を辞めて独立する人が当たり前のようにいました。日本のマーケターも、もっとこういうアクションを起こすべきだと思います。

いいたか:
今の話に通ずることを、僕もマーケターによく伝えます。マーケティングを学びたいとはじめてきた人には「次に会うときまでに、自分でWebサイト作ってモノが売れたら、また連絡くださいね」と言うんです。ちゃんと取り組んできた人は、学ぶ意欲の高い人だということで、自分が在籍していた会社に誘っていました(笑)。

対談風景5

戸栗:
いいですねそれ(笑)。

いいたか:
それと、最近のSaaS企業のマーケターで問題だと思うことは、自社のプロダクトを知らなすぎるという点です。プロダクトを自分で使っていないんですよね。

戸栗:
それはありますね。マーケターなんだから、お客さんを知ること、お客さんの課題を解決するために作られている、自分たちのプロダクトを熟知しているべきだとは思いますよね。僕自身、HubSpotを誰よりも触っていたことが、マーケティングや営業活動の強みにつながりました。こういう活動が何より大切だと思うので…みんなしてほしいですね。

ビジネスの世界から宇宙へ飛び立つ

いいたか:
逆に、戸栗さんが考える「いいマーケターの条件」は何ですか?

戸栗:
明確な目標をちゃんと持っている人でしょうか。自分の人生でやりたいことが決まっていて、目標から逆算して「だから今ここにいる」というのを、正確に認知している人、というのかな。

明確な目標を持っていると、自分の能力値のどこが足りていて、どこが不足しているかわかります。その上で、どのように目標に近づくかを具体化できる人が、いいマーケターの条件かな、と思います。自分の特性を理解できているかは、ビジネスマンとしても重要なことだと思います。この2つを満たしていれば、営業であろうとマーケターであろうと活躍できるでしょう。

特に日本では、学生も社会人も誰かからやり方や目標が与えられて生きていることが多いです。自分で判断する機会や、自分なりの方法を見つけようとする工夫する機会が非常に少ない感じがします。

私の就職の例がいい例えかわかりませんが。海外には新卒や第2新卒という概念がないとお伝えしましたが、海外では総じて自分の人生のレールを、自分で作っていく必要が強いように思えます。大学院で仲の良かったスウェーデン人の友人は、1年間時間をかけて人生の意味や目標や世界を見る旅に出るのがスウェーデンでは普通だよ、と言っていました。

そういう海外との違いを見てきたからなのか、なるべく早い段階から、淡い目標でも作るようにして、そこに向かうためにはどうすれば良いのか、自分で考えて訓練を積んだ方がいいと思いますね。ぼーっとしている時間は思っているよりないよ、という話になるのかな(笑)

いいたか:
そうですね。最後に、戸栗さんがLEAPTを通じて、どんなことをしていきたいのか教えてください。

戸栗:
自分で考えて活き活きと動ける人を、どんどん増やしたいです

前述した通り、僕の祖父や親戚の男性陣は自分の好きなことをしていたせいか、みんな楽しそうに毎日を送っていました。一方で、学生時代に電車で出会った多くのサラリーマンは、目が疲れていていまいち楽しそうに見えませんでした。

オーストラリアの大学院でも、HubSpotでも、そうした元気のない大人を見たことがほとんどなかったんです。僕はLEAPTでのサービスを通じて、マーケティングを好きになって、積極的に仕事をして、もっと活き活きと日々生活する人たちを増やしたいなと思っています。

「元気のない」根本は、自分の生き方や仕事をどう考えればいいか分からない、どう判断すればいいか分からないからかなと。そういう、不安やフラストレーションを抱えていることが多いからだと思っています。そういう人に、ノウハウじゃなくて、根本的な考え方や判断の仕方を伝えられれば、活き活きと行動ができるようになると思うんです。

実際、僕が支援している担当者さんが社内でMVPになったり、社長賞を獲ったりという報告をもらうことがあります。どんどん活躍してステップアップするのでとても嬉しいです。ただ、結果的に転職してしまう人が多いんですけどね(笑)。

プロジェクトの担当者や、責任者が転職してしまうのは支援側としては困ってしまうんですが。活躍して目標を見つけて、次に進んでいくということですし、喜ばしいことだと思っています。LEAPTという社名にも、そういう思いを込めましたから。
(leaptは「飛躍する、躍動する」の意味を持つleapの過去形)

せっかくの人生、楽しい方がいいじゃないですか。ここまでお話させて頂いた通り、私はユニークな経験をさせてもらいました。その僕の経験が、マーケティングに関して不安やフラストレーションを抱えている人に対して、何かの足しになれば嬉しいんです。

理系の研究科に行かずに、オーストラリアの大学院に行き学んだことがマーケティングに触れることのきっかけを作りました。デジタルマーケティングに深く触れ、初めての起業で失敗したことがBtoBマーケティングにつながりました。

それらの点と点が、結果的に今につながっています。僕自身、月から地球を見たいという想いは、今も変わりません。目標へたどり着くために、今現在もさまざまな点を渡り歩いているところです。

いいたか:
あと何年くらいで、念願の宇宙に行けそうですか?

戸栗:
実は宇宙の入口に行くのは早ければ2025年から2026年に達成できそうで、今現在、宇宙旅行の予約手続きを進めています。ただ、月から地球を見るのに関しては、あと15年くらいかかるのじゃないでしょうか。

仕事で宇宙に関わる方法も、いくらでもあると思っているので、そちらからも達成できる方法がないかな、と探しています。というか、15年以上経ってしまうと、肉体的に行けなくなってしまいそうだなと(笑)

対談風景6

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