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日本の99%のトラフィックを生む、1%のWebサイトのSEOを支える辻正浩ができるまで。

更新日:2024.2.2 公開日:2023.08.10

日本の99%のトラフィックを生む、1%のWebサイトのSEOを支える辻正浩ができるまで。

様々な領域の「知」を求めて、有識者の皆さんと対談する連載「 #知の探索 」。今回から体制が少し変わりまして、インタビュアーは当社本田卓也が務めます。

そして今回のゲストは、SEO専門家の辻正浩さんです。日本のSEO従事者で知らない人はいないであろう辻さん。支援するサイトの月間検索流入は合計5億回にものぼり、これは日本の月間検索数の約5%にもなるのではないかとのこと。皆さんが今日、何気なく開いたサイトも辻さんが関わっているかもしれません。

本田と辻さんは、10年以上の付き合いでもあります。辻さんがどのような経緯でSEOに関わるようになったのか、今の日本のSEO業界に何を思うのかをたっぷりと伺いました。

(執筆・撮影:サトートモロー 進行・編集:本田卓也)

20歳まで生きられないと宣告された辻、ハードワークに目覚める

本田:
こんなかしこまってインタビューも恥ずかしいのですが(笑)実はあまり聞いたことはないので、最初は辻さんの幼少期について聞いてみたいです。辻さんはどんな子ども時代を過ごしたのですか?

辻:
小さい頃の私は、とにかく病弱でした。北海道に在住していましたが、喘息やアレルギーがひどくて。小中学校時代に、十数回は入退院を繰り返していました。中学1、2年生は学校に半分も通えませんでしたし、医者に「20歳まで生きられない」とまで言われていました。

対談風景

本田:
それは大変でしたね…。

辻:
医者の宣告を聞いた瞬間、母親と二人で泣きました。ですがその後、14歳で救急搬送された病院がすごくいいところで、一気に快方に向かいました。

日常に帰ってきた私は、高校生で入部した放送部にどっぷりハマっていきました。ただ、その放送部は今だったらありえないような、コンプライアンス違反の部活だったんです。

文化系の部活とは思えないハードさでしたね。参考書籍は100冊読め、企画案を100個出せと言われ、出来上がった後に全部やり直しのようなことも多くて。授業中や土日では間に合わず、必死に徹夜したりして頑張っていました。

こうして私は、高校生時代に「ハードワーク」を学んでしまったわけです。

本田:
10代でハードワークを覚えてしまったのですね(笑)。

辻:
この時、顧問に文章の書き方をすべて教わりました。原稿用紙を朝イチで顧問に持っていき、昼休みに講評してもらい、明日までに全部書き直して…。これを延々と繰り返しましたから。ある意味、私にとって最初の師匠といえる存在です。

その後、大学に進学した私は、自主制作映画にハマったり、報道カメラマンのアシスタントのアルバイトをやったりしました。ここでも普通に、ハードワークをこなしていました。

本田:
就職活動はどうだったのですか?

辻:
98年に大学を卒業して、ゲームの卸売業者に入社し、営業部に配属されました。そこでも入社半年が経つ頃には、会社に最後まで残って終電以降も働いていました(笑)この会社に4年間勤めて、その後10数回は転職したと思います。

本田:
転職回数の多さも驚きですが、営業職が最初のキャリアだったのは意外です。プログラマーなど、インターネット関連の会社ではなかったんですね。

辻:
当時の北海道にはインターネット関連の求人がわずかで、プログラマーという進路は頭にありませんでした。でも、インターネットの前身であるパソコン通信は利用していたし、大学が幸運にもインターネット環境が整っていたので、インターネット自体には慣れ親しんでいました。

本田:
営業マンとしての辻さんは、どんなことをしていたんですか?

辻:
私は主に、GMS(総合スーパー)を中心にルート営業をしていました。営業マンの適性は…低かったと思います。典型的なオタクで、対面でのコミュニケーションは苦手でしたから。

ですが、営業成績自体は悪くありませんでした。人間関係の構築が苦手だった私は、とにかく商品知識を武器にしました。

主に家庭用ゲームを売る営業だったのですが、新作は毎日のように発売されます。発売数カ月前に「どの商品がどれくらい売れるかの見込み」を考え、取引先に提案するのが私の仕事でした。

それができるようになるため、私が主に担当していたメーカーで、30万本以上売れたゲームを必ずゲームクリアまで遊ぶというルールを決めました。また、メーカーから発売される商品の初回出荷数と評価をチェックし、ゲーム雑誌は全て読みました。すみずみまで情報をチェックして、資料を見ずに商品に関する情報を提案できるようにしたんです。

対談風景

本田:
昔から、ジャンルがなんであれ、仕事に対して強烈なこだわりを持っていたのが分かるエピソードですね。

辻:
突き詰めていくというのは、昔からの私のスタンスだと思います。商品知識の多さは、お客様からものすごく重宝されました。

本田:
この時は20代半ばだと思いますが、将来のキャリアについてはどう考えていましたか?

辻:
会社を辞める選択肢はありませんでした。ゲーム業界の営業は、自分の天職だと思っていたので。お客様にも「辻さんは絶対、今の会社が天職だよ。辞めたら後悔するよ」と言われていました(笑)。

SEOの師匠・渡辺隆広氏との出会いと独立

本田:
ここから、どうやってSEOの世界に入っていくのですか?

辻:
ある日、知人から「インターネットに詳しくて、営業と映像制作ができる何でも屋を探している。手伝ってくれないか」と相談されました。

そこはテレビ番組の制作会社で、新規事業としてネット放送を始めるところでした。この会社に転職した私は、Web制作やサイト運営、そしてSEOに携わるようになったんです。

本田:
ここではじめてSEOに触れるのですね。

辻:
この時は本当に大変でした。ネット放送をするといっても、当時の北海道ではブロードバンド環境はわずかです。ネット放送は東京に数社だけ会社があったくらいで、視聴側も配信側も苦労して視聴するという感じでした。

ネット中継を多くやっていましたが、中継場所が決まったら慌ててNTTに駆け込んで臨時回線を数本契約してアップロードしたりしましたね。結構時代を先取り?していて、国際学会や個人の結婚式の様子を動画でネット中継したのは、当時調べた限りでは多分私たちが日本初の事業者だったと思います。

本田:
そんなこともやっていたのですね。この会社には何年在籍したのですか?

辻:
2002年4月に入社したんですが、色々とあってその年末には解散してしまったんです。ネット放送の事業を続けたいと先輩たちと事業を引き継いでくれる会社を探したり、やっと動き出せたらそこが買収されたり破綻したり、色々とありました。結局北海道で5年働いたのですが7回会社が変わりましたね。常に立ち上げか撤退をしているような…いろいろ大変でした。

その後、最後に立ち上げたWeb制作会社は順調だったんですが、途中から別の道を模索し始めたんです。

本田:
なぜでしょうか?

辻:
私たちの会社は、北海道内のコンペでは敵なしでした。しかし、東京の会社がコンペに参加すると、大きな案件はまったく勝てなかったんです。この状況に不満を持つとともに、東京のレベルの高さを体験したくなりました。

私は会社を離れて一人で上京し、1か月間シェアルームを借りて中途採用に応募しました。そして2007年に、株式会社アイレップのSEOチームに転職しました。

当時、私は32歳でチームでは最年長ではあったものの、完全に下っ端としてのスタートでした。東京に出てきた以上、大きいサイトのデータを見たい!という気持ちが強かった私は、とにかく大きな案件を担当したいとお願いしました。その中の一つが、運よく大成功しまして。徐々に会社からも評価されていきました。

本田:
アイレップでは、SEOの第一人者である渡辺隆広さんに出会うのですよね。

辻:
そうです。私がSEOを学んだ最初のきっかけは、渡辺さんの書籍『検索にガンガンヒットするホームページの作り方』でした。

この本が出た2003年、私は北海道でWeb制作の仕事をしていましたが、新規提案の中で「SEOでサイトが検索上位に表示されやすくなる」と言ってしまったんです。この時はSEOはちょっと小耳に挟んだ程度でした。SEOを「セオ」と言っていましたね(笑)

それで受注出来てしまったので、打ち合わせ後にすぐ書店へ向かい、そこで渡辺さんの本に出会ったんです。本の通りに実践したら驚くほど検索順位が上がりまして、それ以来SEOにのめり込んでいきました。

アイレップに入社したら、私にとってのバイブルを書いた渡辺さんが目の前にいるわけです。入社直後は「渡辺さんが動いている!あ、こういう声だったんだ」と、心の中でキャーキャー騒いでいました(笑)。

対談風景

本田:
この時、辻さんは渡辺さんに厳しく鍛えられたそうですね。

辻:
そうですね。当時のアイレップは、アルゴリズムの分析をする時、こちらの考えを渡辺さんに必ず確認してもらうというのがルールでした。その確認が、とにかく厳しいうえに的確だったんです。

「君のいうアルゴリズムが正しければ、○○と○○の数字も上がるはずだ。確認した?」
「アルゴリズムが変わったと言い切れるのなら、ちゃんと説明ができるはずだ」

毎回毎回、ぐうの音も出ないツッコミが襲いかかってきました。

本田:
高校時代の放送部もそうですが、辻さんの身の回りには厳格な師匠が多い(笑)。こうしたツッコミによって、今の辻さんがあるのですね。

辻:
私にとって渡辺さんは神様のような人だったので、他のメンバーが仕様確認をしてもらっている時も、いつも耳をそばだてていました。渡辺さんの話を聞くのは、とても勉強になったし面白かったです。

SEOに必要な考え方の9割は、アイレップにいた4年間で渡辺さんから学びました。私のように、渡辺さんの教えを受けた人はたくさんいます。日本でSEOを専門にしている人の数割は渡辺さんから直接教わったか、渡辺さんから教わった人に教わったのではないでしょうか。それくらい渡辺さんのDNAは、日本のSEOを支える源流の一つだと思います。

本田:
それは間違いないですね。ところで、辻さんは2011年に独立してフリーランスになったわけですが、なぜ渡辺さんの元を離れて、一人でやっていこうと思ったんですか?

辻:
より幅広く仕事をしたいと思ったからです。ちょっと大きな会社では受けづらいような、幅広いサイトのSEOに関わりたかったんですよね。スタートアップから巨大サイトまで、自分が好きなサービスのサポートをしたいと思って独立した次第です。この想いは、今でもずっと変わりません。

日本の深刻な「SEO人材不足問題」

本田:
辻さんのSEOってどんなことをするのかとても気になるのですが、辻さんはどのようなSEO業務を行っているのでしょうか?

辻:
つまらない回答になってしまうのですが、やっていることは本当にバラバラです。そのサイトに合わせた測定方法や提案内容で、個別にSEOを進めています。

SEOと一言で言っても、サイトによってやることは全く違います。

数十ページの静的なサイト、もしくは記事コンテンツだけでどうにかなるタイプのサイトは、検索を踏まえた良質なコンテンツを積み上げればいいので、技術的にはそこまで難しくありません。複雑で特殊な仕様の大規模サイトは、大抵はテクニカルSEOを突き詰める必要がありますが、それがあまりに大変なんです。

複雑なサイトのSEOに本格的に関わるときは、私は最短50時間はかけないと問題を把握できません。毎月のように新たな問題が発生し続け、十数年巨大サイトのSEOを多く実施してきた私でも、経験がない問題が起きます。こうしたサイトの場合、どんな体制で行うのがベストなのか、私も分からないというのが正直なところでもあります。

本田:
辻さんでも分からないと。

辻:
そうですね。本当にわからないことばかりです。一方で、近年は複雑で大きなサイトが増えていて、難易度の高いSEOへのニーズも増え続けています

日本全体のPVやUUの9割を生み出しているのは、数でいうとサイト全体の1%くらいだと思いますが、そういうサイトのSEOには一般的なノウハウが通用しないことが多いですんよね。サイトによって要件が大きく異なるので、ネット上に参考になる情報はわずかしかありません。

「やらないよりはやった方がいい事」を上げるならば簡単ですが、そういう大きなサイトにとって十分なインパクトがあって、安定して、かつサイト運営にマッチしたようなSEOは、どうしても難しいものが多い。

この1%のサイトのSEOに対応できる人が、少なすぎるんですよね。そういう私も手一杯で、今はお問い合わせを頂いてもほぼお断りしてしまうような状況です。。

本田:
個別案件に依る部分も多いとは思いますが、SEO案件の中で、共通してチェックしている指標はありますか?

対談風景

辻:
私の場合、様々なツールで収集したデータを指標にしていますが、サーチコンソールで見えるデータを最もよく使っています。巨大サイトの場合は、ログを見て全体の傾向を掴むというのが基本的な手法です。とはいえ、サイトの実態を調べる時、一番最初に見るのは「検索結果」であるケースがほとんどです。

KPIについては、競合サイトも含めてのインデックス率、URL Inspection API(Search Consoleが提供するAPI、管理サイトのインデックス状況を入手できる)などの変化をよくチェックします。他のデータも、定期的に見ていますが。

ただ、お客様によってまったく見ない情報もあります。それくらい、それぞれのサイトの問題点は異なるんです。

例えば、記事を中心とした大手ニュースサイトの場合、ほとんどの記事はインデックスされますのでインデックス率は追いませんが、何秒でインデックスされるかなどの別の指標を追いますね。一方、写真投稿のようなサイトの場合、インデックスに問題がある場合が多いので、細かい条件でインデックス率などを追い続けます。サイトによってチェックする指標は全く異なりますね。

本田:
サイトごとに課題がバラバラな以上、仕事内容も案件で大きく変わりますね。それに対応できる人が、日本にはまだまだ少ないと。

辻:
そうですね。SEO人材は根本的に不足していると思います。

おそらくなのですが、アメリカで10人以上SEO担当者がいる企業は、100社以上はあると思います。多くのサイトにとって最も大きなアクセス元は「検索」でしょうし、担当者を置いて当然と思います。しかし、日本企業でインハウスのSEO担当者が10人以上いる企業というのは、10社程度だと思います。ほとんどの会社では、SEO専任担当はゼロなわけです。

さらに今のアウトソース側のSEO人材は、コンテンツしか分からないという人が大半です。その結果、コンテンツだけでは解決しない多くの企業が困っている状況に陥っているのかなと。

SEOは総合格闘技である

本田:
辻さんは、かれこれ2年前くらいから「日本のSEO後継者問題」について話していますよね。辻さんの元に、「弟子にしてください!」とお願いしに来る人はいないんですか?

僕はミエルカコネクトに登録してくれるフリーランスのマーケターと面談しているんですが、「SEOで日本一になりたい!」という方には、必ず「辻さんに連絡してみて」と言うんです。

辻:
そうなんですか!Web制作に携わり始めた頃から、「辻さんのようにできるようになりたいけれど、辻さんみたいに働きたくない」と言われ続けて20年。私のところに弟子入りしたいという方は、ほぼ現れたことがないです(笑)。

本田:
あれ、誰も行ってないのか、おかしいな(笑)逆に、辻さんはどんな人なら弟子にしたいと考えますか?

対談風景

辻:
本当にやる気がある人ですね。既存のSEOの知識はどうでもいいと思います。SEOの基礎は、Googleのガイドラインの日本語版を一言一句暗記すれば身につけられます。あとは実際の検索結果やサイトから学んでいくべきです。過去の経験で変な考え方がしみついている人よりも、やる気さえあれば未経験でも問題はないと思いますね。

本田:
SEOが好きであったり、経験者である必要性はないと。

辻:
はい。その上で、モラルが必須ですね。モラルの無い人が大きく検索に影響を及ぼすようになるべきではないです。モラルはなかなか変わりませんし。

それと、好奇心が強い人じゃないとSEOは無理だと思います。どんどん過去の知識が台無しになり続けても楽しく新しい事に向き合える人じゃないと、複雑なSEOの仕事は心が持たないと思います。

それと、SEOにおいて私が重要だと思っていることの1つに「どれだけ引き出しを持っているか」というものがあります。貴社の代表取締役の古澤さんはよく「SEOは総合格闘技だ」と言いますよね。

私もこの考えに同感です。さらに私は「もっとも高度なSEOの仕事は分業ができない」と考えています。

総合格闘技の選手は、試合中に一人で戦略を考え、パンチやキックをします。戦略担当・パンチ担当・キック担当と、分かれて戦いません。SEOも同様です。どこかの分野に特化するのはいいですが、総合的にSEOを理解しないと、戦えない場合が非常に多いです。

SEOの方針を考えるとき、記事作りしかわからない人は記事改善しか提案できませんし、SNS系の施策に強い人はそちらが中心になりがちです。しかし、最善の効果を出すためにはそのサイトの現状を踏まえて、ありとあらゆる選択肢から効果の量や成功率、想定される工数などを踏まえて選択しないといけませんよね。

SEOにおいて最高の職人技を披露するには、仕事を分業できないんじゃないかなと。AとBのどちらが適切な施策かを判断できるかが、SEOではもっとも重要だからです。

アイレップ時代、渡辺さんの新人研修の中で、新人と同席していた私に「このサイトの施策案を100出して」と言われた事がありました。すると、経験を積んだ私の100本と、渡辺さんが指導した入社3ヶ月目の新人の出した100本では、90本以上が同じになったのです。基礎が身につけばSEO観点での課題出しは簡単なんです。難しいのは、沢山の候補の中からそのサイトに本当に有効な施策は何かを見つけることです。

普通のサイトならば、SEOの施策もパターンが決まりますから分業は出来ます。ただ、複雑な大規模サイトでの最良のSEOにするにはすべてを一人で把握する必要があると思っています。それにはやはり長い時間をかけて考え方を身につける必要がありますが、今の時代では法律違反な募集要項になるので、どうしようかなと…(笑)。

本田:
悩ましい問題ですね。

辻:
もちろん、全てのSEOの人がこのようにするべきとは思いません。全部やるというのは普通は現実的な話ではありませんから。

SEOはどこまでやっても不安定で、完璧ではないですよね。どれだけ頑張ってもうまくいかないこともあります。工数と報酬と成果のバランスが取れた、サービスレベルを考えるのは当然のことです。

ただ、私は理想を目指したいと思っています。不安定で完璧がないSEOの世界で、自分の仕事に納得できたのは「これ以上は他の誰でも無理だ」と言い切れるまで、突き詰められた時だけでした。

私は、とても重要な情報のSEOに多く関わっているので、失敗するとその影響は甚大です。自分に納得できないと心が持ちませんが、どうにか仕事を続けられる間は頑張りたいと思っています。

対談風景

本田:
とはいえ、辻さんももう50代ですよね。後任を育てるのなら、急がないと。

辻:
本当にそうなんです。今は本当に、いい出会いがあったらいいなと期待しています。

それまでは、身体が続くまで頑張るしかありません。その間に、Googleの性能が向上し、AIが私たちの仕事を駆逐してくれることを祈るばかりです(笑)。

本田:
日本のインターネットのためにも、いい後継者が現れることを願っています。

命に関わるインターネットを、よりポジティブにしていきたい

本田:
昔と今とで、SEOに向き合う気持ちというのは変化がありますか?

辻:
インターネットを、よりポジティブなものにしていきたいなと思うようになりました。

数年前、あるお客様のSEOを担当した時のことです。お客様には二つの提案をしました。一つ目の提案は、確実にPV数の向上が期待できるもので、二つ目の提案は、PV数は期待できないけれど別のメリットがあるものでした。

どちらがいいかお客様に尋ねたところ、「この企画ではPVはどうでもいい。一人でも多くの命を救える方法でお願いします」と言われたんです。このプロジェクトに関わった人は、必死にインターネットで人の命を救おうとしていました。

インターネットというのは、今や命に関わる情報を扱っています。SEOは、人の命を左右するインターネットのトラフィックを、激変させる可能性があるんです。命をネガティブな方向に変えてしまうSEOを、行ってしまっている人も実際にいます。この状況を、どうにかしたいという気持ちがあります。

本田:
強い使命感を持っているのですね。「俺がやらなきゃ誰がやる」と。

対談風景

辻:
SEOの仕事をするようになって初期は、単に面白く楽しい仕事でした。SEOを介して数多くの有名サイトに深く関わったり、レジェント達から学ぶのは楽しくてたまらなかった。

その後、界隈では有名なとある騒動が起こりました。このとき医療関係など色々な人に呼ばれる機会があったのですが、まるで私が検索エンジンやSEOを代表しているように怒られることも多かったのです。その中で検索エンジンとSEOがどれだけ多くの人に大きな被害を与えているかを実感しました。

このままではダメだ、どうにかしないという気持ちが強くなっていきました。この頃から、サーチコンソールやGAで見る数字に、命や公益性という側面を意識するようになりましたね。

本田:
そんな辻さんから、日本のSEOに携わる人にメッセージはありますか?

辻:
そうですね…。今の状況的に、SEOの世界はどんどん難しくなっています。それでも、SEOのニーズは今後も増え続けることは確かです。世間では昨年あたりからAIが話題ですが、このままAIが重要になるほど、SEOの仕事は増えていくと思います。

高度なSEOに取り組んできた人は、5年ほど前からAI対策を進めていたはずです。私もどうやって、いい形でAIにデータを食わせるかに取り組んできましたし、それで成果をあげてきました。今後AIがより影響力を増すと、この観点での対策はより重要になります。

本田:
総合格闘技的なSEOのニーズは、今後も減らないということですね。

辻:
機械作業が中心の人、誰にでも出来る仕事しかしていない人は厳しくなると思います。そうではなく、幅広い領域を踏まえて行えるSEOのニーズは減りません。

今は非常に限定した領域でしか取り組まれていない人が多いと思いますので、ぜひ機会を見つけて自分の領域を広げてもらいたいですね。きっと非常に重宝される存在になれるはずです。

対談風景

 

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